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2019年9月11日水曜日

(連載8)8-4無と同じものとして(大統一理論)




宇宙統一理論は
「空間の重なり」が物質(新しい次元世界)であるという
世界の確かな構造を提示している。


当然ながら空間に
「重さ」の概念はない。

そして「重さ」をもたない空間がいくら重なったところで、
そこに「重さ」が生まれるわけでもない。


けれども宇宙統一理論では「空間の重なり」がうまれた結果、
同時に「失われた空間」(空間穴)が出現する。
この「失われた空間」が自らの空間を呼びもどそうと働くために、
宇宙には「力学」が出現したのである。


つまり原子、あるいは物質は、
重さをもたない空間の一部分にすぎず、
そこに本来「重さ」の概念はなかったのだ。


この空間に「重さ」をあたえたのは、
この時出現した「失われた空間」である。
そしてこの「失われた空間」が実在するために、
「物質」は繋ぎ止められ、「重力」が生まれ、原子は結合し、
あらゆる概念、Cm、温度は誕生し、
ジュールは呼びだされ、磁力が出現したのである。


これが宇宙統一理論である。



この「失われた空間」以外に、
全ての概念を統合できる力学は存在しない。
これが「宇宙のあらゆる存在と全ての力が統合される」ということであり、
大統一理論の成立する証明である。



無と同一のものとして、
全てを等価として、
ひとつのものとして、
我々の宇宙は成立する。


その証明を物理学は確定しなければならないのだ。



次元理論では
「次元世界(完全無)の起点」となる無と同等の存在を
「実在する無の概念(存在する無・実体・モナド)」として定義する。

そして5次元物質世界における「実在する無の概念」
あるいは「あるのにない」という「次元世界の起点」、
それが「原子」(物質)である。

そしてこの原子を生みだした空間が、
もとは「無」との共有によって生みだされた時空であり、
結局は「無」とも等しい概念世界なのだ。
すなわち「5次元世界」という我々の大宇宙も、
やはり同じ「無の集合体」(次元世界)である。


したがって我々が認識する「ここ」という場所は、
実際にはこの宇宙のどこにも存在しないし、
あるいは「今」という時間も
どこにも存在することが出来ない時間である。


とすれば、我々が確かに存在できる唯一の場所は、
自身の記憶、人間の記憶、人類の記憶、地球の記憶など、
この記憶という概念世界の中のみかもしれない。
けれども命は、そして我々の自我世界は、
この場所が「確実に存在する世界であること」を理解する。



今を信じ、今を変化させながら、今を願い、
今という存在しない世界を生きつづける‥
それが宇宙のもつ「多重次元構造」であり、
無が存在するための現実である。


確かに存在するものは「世界」ではない。

無は存在ではなく、
力学なのだ。


連鎖して拡大するという
ただ一つの力学なのである。
その力学が存在として理解されただけであり、
無であり、世界であり、「あなた」である。





だがまだ我々人間とこの宇宙の間には、
もうひとつの壁がある。

その空白をうめることができるのは
「命」という、やはり物質とは異なる未知の概念世界である。

まずはこの宇宙と生命とをつなげ、
そのさきに命と自我世界とをつなげる。
そのことによってやっと、
宇宙と我々人間はひとつになれるのである。


従って人間の存在(力学)を探求する我々が
宇宙の次に理解しなければならないことは、
それが生命世界の
「命とは何か、どこに存在するのか」という疑問である。



宇宙や地球を生みだした概念が
「無の集合体」であれば、
我々の命や自我世界も
その延長線上に存在する同じものである。


「物質の質量という部分を持たない時空(空間)という次元世界」
があるのならば、次は
「生命の部分を持たない物質としての次元世界」も
同様に存在するのではないだろうか。


我々が命や自我にたいして直感的に感じるはかなさは、
それは命や自我が「無の部分を持つ」同じ概念だからである。
そして命や自我に同様に感じる可能性とたくましさは、
命や自我が「無」と同義の「無限大」の概念を持つからである。


今後の「次元理論」はそのあたりに焦点を向けて、
今度は「命の存在」そのものを科学する。




読者の皆さまはこのような現実世界にふれられて、
驚かれるのだろうか、それとも否定されるのだろうか。

おそらくその胸中は複雑だと著者は推測する。
私自身がこの「次元理論」の執筆中に幾度となく、
これらの事実に対して強い衝撃を受けたのだ。

そしてそれを理解するのに時間も長く必要とした。
ましてや現代の科学の担い手である物理学者たちにとっては、
自らの研究を手離してまで次元理論を理解しようとするなどと、
それは100年かかっても起こり得ないことかもしれない。


けれどもこの世界の現実を理解した上で、
この宇宙の構造も生命世界の仕組みも同じではないか
と気づかれた読者の方も、
きっといらっしゃるに違いないのだ。


おたがいが「たしかに存在する」のに、
それでも「どこにも存在しない」という同じ世界。
人間と生命とこの宇宙がもつ不思議なつながり。


次元理論は冒頭でも述べたとおり、
この宇宙と我々人間の存在を結びつける「科学」である。


無と同じものとして、
その解答は最初から明かされている。
存在するものの本当の理由を理解することが
この学問の真髄であり、
人間の本当の学びである。


ここまで「無」から「この宇宙の創造」までを
ひとつにつなげてきた次元理論は、
この先の宇宙には一体どんな世界を見つけだしていくのか。

次元理論であれば
さらに深い知識へと我々を導くことが可能である。


いつの日か人類が宇宙の真理を見つけるその日まで、
我々は出来る限りの努力と準備をしておかなければならない。


私は人間の可能性を信じる。
そして次元理論を通じてあなたとつながることを
信じている。


次元理論が正しければ、
現実世界はこのように「完全無」から発現した
「次元世界」である。


我々の目の前に「実在する無の概念」、
それを人間は現実世界と認識する。
だとすれば「完全無」、これこそが
この宇宙に存在するただひとつの真実であり、
「この宇宙には何も存在しなかった」
という次元理論の大前提とも、
矛盾するものではなくなる。


現実世界は概念か、
それとも概念から現実世界が生まれたのか。
いずれにせよ「存在する無」これこそが現実なのだ。

次元理論ではあらゆる次元世界は現実世界であるために、
全ての概念宇宙が同時に「実在」する。
このように次元世界と次元世界の狭間に位置するものが
「次元共有の大原理」である。


これは
「あらゆる次元世界は概念を共有することによって共に実在する」
という次元世界の存在する理由であり、
全ての次元世界が無に部分を置く、
すなわち同じ「存在する無」であることの証なのだ。


全ては同じ世界の、同じ現実である。
無の本質は力学である。


これまでの我々は、
この宇宙をすでに完成したものであり、
我々をただ受け入れてくれるだけの
空間として認識してきた。

けれどもそれは間違いである。
無機物である時間や空間、そして物質や星々にさえ、
誕生や成長、増殖、さらには消滅という
まるで生命世界さながらの終わりなきドラマが存在する。

この宇宙は存在するために必死であがき、
今なお成長をつづける次元世界である。
これはこの宇宙の空間と時間のスケールが、
我々人間とくらべるとあまりにも大きすぎたために、
これまでの我々には
理解できなかっただけである。

この宇宙は昔から言われているように、
まるで生きているかのように活動を続ける。
けれどもその事によって次元理論では、
この宇宙が生命体であるなどと結論づけることはない。

科学的見知をもつ次元理論では、
生命世界が誕生する以前の物質世界においても、
物質たちは疑似生命的な構造をつくり出し、
その中にこそ我々の世界が存在するという認識が重要である。


この世界の構造があるからこそ、
この宇宙を模倣として新たな概念世界が開けたのである。
なにより「存在する為に拡大を続ける」という生命世界の特性は
既に物質世界において確立されていたのだ。


このように統合された「宇宙原理」の中にこそ、
次なる次元世界へとつながる
重要なキーワードが隠されている。


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