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2019年9月24日火曜日

(連鎖9)9-1真実

第9章

世界の理由



原理から始まるものは科学ではない。
正しい理由が原理と呼ばれるのだ。




(連鎖9)9-1真理の概要


存在しない点の内側、
存在しない今という時間、
その今の中だけに存在する世界、
存在する場所を確定することの出来ない生命、
そして「あなた」は何処に存在するのか。


この世界は全てが実体である。


世界は実体の集合体なのだ。
本当の科学は
この実体(モナド)への理解から始まる。


存在しない実体が
永遠に連鎖する世界、
これが無の永遠の連鎖「完全無」である。




『無が存在するという概念は
完全無の世界が存在することと
同じ概念である。
これによって「存在する無」は
連鎖して「完全無」へと続く「ベクトル」である。

存在ではなくベクトル、
これが世界の真実である。


無の無限大の連鎖によって拡大する完全無。


その連鎖が同じ方向へと続くと世界は広がり、
異なる概念方向へ拡大すると等価な概念宇宙である。
この異なる概念宇宙が「次元世界」と呼ばれ、
科学、物理学の真髄であり、
それを理解する学問がこの「次元理論」である。


あらゆる概念の方向へと
「同じ無が拡大する」こと、
それによって世界は「完全無」と同一の「実体」であり
「ひとつの同じもの」である。


これは
「世界には何も存在しなかった」という
世界の本質であり、無の無限大の連鎖、
すなわち力学に統括された「存在する世界」である。


ここに世界の解答がある。


無から世界が生まれたのではない。
この世界はまだ無と同じものなのだ。
無の真実の姿がこの現実の宇宙である。


この理解から知識が生まれる。』



2019年9月11日水曜日

(連載8)8-4無と同じものとして(大統一理論)




宇宙統一理論は
「空間の重なり」が物質(新しい次元世界)であるという
世界の確かな構造を提示している。


当然ながら空間に
「重さ」の概念はない。

そして「重さ」をもたない空間がいくら重なったところで、
そこに「重さ」が生まれるわけでもない。


けれども宇宙統一理論では「空間の重なり」がうまれた結果、
同時に「失われた空間」(空間穴)が出現する。
この「失われた空間」が自らの空間を呼びもどそうと働くために、
宇宙には「力学」が出現したのである。


つまり原子、あるいは物質は、
重さをもたない空間の一部分にすぎず、
そこに本来「重さ」の概念はなかったのだ。


この空間に「重さ」をあたえたのは、
この時出現した「失われた空間」である。
そしてこの「失われた空間」が実在するために、
「物質」は繋ぎ止められ、「重力」が生まれ、原子は結合し、
あらゆる概念、Cm、温度は誕生し、
ジュールは呼びだされ、磁力が出現したのである。


これが宇宙統一理論である。



この「失われた空間」以外に、
全ての概念を統合できる力学は存在しない。
これが「宇宙のあらゆる存在と全ての力が統合される」ということであり、
大統一理論の成立する証明である。



無と同一のものとして、
全てを等価として、
ひとつのものとして、
我々の宇宙は成立する。


その証明を物理学は確定しなければならないのだ。



次元理論では
「次元世界(完全無)の起点」となる無と同等の存在を
「実在する無の概念(存在する無・実体・モナド)」として定義する。

そして5次元物質世界における「実在する無の概念」
あるいは「あるのにない」という「次元世界の起点」、
それが「原子」(物質)である。

そしてこの原子を生みだした空間が、
もとは「無」との共有によって生みだされた時空であり、
結局は「無」とも等しい概念世界なのだ。
すなわち「5次元世界」という我々の大宇宙も、
やはり同じ「無の集合体」(次元世界)である。


したがって我々が認識する「ここ」という場所は、
実際にはこの宇宙のどこにも存在しないし、
あるいは「今」という時間も
どこにも存在することが出来ない時間である。


とすれば、我々が確かに存在できる唯一の場所は、
自身の記憶、人間の記憶、人類の記憶、地球の記憶など、
この記憶という概念世界の中のみかもしれない。
けれども命は、そして我々の自我世界は、
この場所が「確実に存在する世界であること」を理解する。



今を信じ、今を変化させながら、今を願い、
今という存在しない世界を生きつづける‥
それが宇宙のもつ「多重次元構造」であり、
無が存在するための現実である。


確かに存在するものは「世界」ではない。

無は存在ではなく、
力学なのだ。


連鎖して拡大するという
ただ一つの力学なのである。
その力学が存在として理解されただけであり、
無であり、世界であり、「あなた」である。





だがまだ我々人間とこの宇宙の間には、
もうひとつの壁がある。

その空白をうめることができるのは
「命」という、やはり物質とは異なる未知の概念世界である。

まずはこの宇宙と生命とをつなげ、
そのさきに命と自我世界とをつなげる。
そのことによってやっと、
宇宙と我々人間はひとつになれるのである。


従って人間の存在(力学)を探求する我々が
宇宙の次に理解しなければならないことは、
それが生命世界の
「命とは何か、どこに存在するのか」という疑問である。



宇宙や地球を生みだした概念が
「無の集合体」であれば、
我々の命や自我世界も
その延長線上に存在する同じものである。


「物質の質量という部分を持たない時空(空間)という次元世界」
があるのならば、次は
「生命の部分を持たない物質としての次元世界」も
同様に存在するのではないだろうか。


我々が命や自我にたいして直感的に感じるはかなさは、
それは命や自我が「無の部分を持つ」同じ概念だからである。
そして命や自我に同様に感じる可能性とたくましさは、
命や自我が「無」と同義の「無限大」の概念を持つからである。


今後の「次元理論」はそのあたりに焦点を向けて、
今度は「命の存在」そのものを科学する。




読者の皆さまはこのような現実世界にふれられて、
驚かれるのだろうか、それとも否定されるのだろうか。

おそらくその胸中は複雑だと著者は推測する。
私自身がこの「次元理論」の執筆中に幾度となく、
これらの事実に対して強い衝撃を受けたのだ。

そしてそれを理解するのに時間も長く必要とした。
ましてや現代の科学の担い手である物理学者たちにとっては、
自らの研究を手離してまで次元理論を理解しようとするなどと、
それは100年かかっても起こり得ないことかもしれない。


けれどもこの世界の現実を理解した上で、
この宇宙の構造も生命世界の仕組みも同じではないか
と気づかれた読者の方も、
きっといらっしゃるに違いないのだ。


おたがいが「たしかに存在する」のに、
それでも「どこにも存在しない」という同じ世界。
人間と生命とこの宇宙がもつ不思議なつながり。


次元理論は冒頭でも述べたとおり、
この宇宙と我々人間の存在を結びつける「科学」である。


無と同じものとして、
その解答は最初から明かされている。
存在するものの本当の理由を理解することが
この学問の真髄であり、
人間の本当の学びである。


ここまで「無」から「この宇宙の創造」までを
ひとつにつなげてきた次元理論は、
この先の宇宙には一体どんな世界を見つけだしていくのか。

次元理論であれば
さらに深い知識へと我々を導くことが可能である。


いつの日か人類が宇宙の真理を見つけるその日まで、
我々は出来る限りの努力と準備をしておかなければならない。


私は人間の可能性を信じる。
そして次元理論を通じてあなたとつながることを
信じている。


次元理論が正しければ、
現実世界はこのように「完全無」から発現した
「次元世界」である。


我々の目の前に「実在する無の概念」、
それを人間は現実世界と認識する。
だとすれば「完全無」、これこそが
この宇宙に存在するただひとつの真実であり、
「この宇宙には何も存在しなかった」
という次元理論の大前提とも、
矛盾するものではなくなる。


現実世界は概念か、
それとも概念から現実世界が生まれたのか。
いずれにせよ「存在する無」これこそが現実なのだ。

次元理論ではあらゆる次元世界は現実世界であるために、
全ての概念宇宙が同時に「実在」する。
このように次元世界と次元世界の狭間に位置するものが
「次元共有の大原理」である。


これは
「あらゆる次元世界は概念を共有することによって共に実在する」
という次元世界の存在する理由であり、
全ての次元世界が無に部分を置く、
すなわち同じ「存在する無」であることの証なのだ。


全ては同じ世界の、同じ現実である。
無の本質は力学である。


これまでの我々は、
この宇宙をすでに完成したものであり、
我々をただ受け入れてくれるだけの
空間として認識してきた。

けれどもそれは間違いである。
無機物である時間や空間、そして物質や星々にさえ、
誕生や成長、増殖、さらには消滅という
まるで生命世界さながらの終わりなきドラマが存在する。

この宇宙は存在するために必死であがき、
今なお成長をつづける次元世界である。
これはこの宇宙の空間と時間のスケールが、
我々人間とくらべるとあまりにも大きすぎたために、
これまでの我々には
理解できなかっただけである。

この宇宙は昔から言われているように、
まるで生きているかのように活動を続ける。
けれどもその事によって次元理論では、
この宇宙が生命体であるなどと結論づけることはない。

科学的見知をもつ次元理論では、
生命世界が誕生する以前の物質世界においても、
物質たちは疑似生命的な構造をつくり出し、
その中にこそ我々の世界が存在するという認識が重要である。


この世界の構造があるからこそ、
この宇宙を模倣として新たな概念世界が開けたのである。
なにより「存在する為に拡大を続ける」という生命世界の特性は
既に物質世界において確立されていたのだ。


このように統合された「宇宙原理」の中にこそ、
次なる次元世界へとつながる
重要なキーワードが隠されている。


2019年9月3日火曜日

(連載8)8-3統合は細分化と拡大




「時空から切りとられた空間の構造が原子であり、
その構造が第5次元世界である」


「次元理論」が与えた我々の宇宙の結論は、
ただそれだけである。


「原子核収縮反応理論(原子の創造理論※注1)」も、
同じ現象を理論的に説明したにすぎない。
けれどもこの認識が、
宇宙のあらゆる現実と全ての存在を統合する。


ケースバイケースの郡説をとりはらい、
「空間に密度がある」というただ一つの認識だけで、
我々は宇宙の深淵にもせまることができる。


どうかこの事実から、目をそむけないで頂きたい。


宇宙は人間には理解できないほどの複雑な仕組みをもつものではなく、
ただシンプルなひとつの原理のみで理解していくことができるのだ。


我々はこの宇宙の本当の姿に
はやく気づかなければならない。
そこから人間の意志は生まれ、
それが真実の科学なのだから。




ではこの「原子核収縮反応理論(原子の創造理論)」は
現実の宇宙をどのように捉えているのか。
ここからはいくつかの事例を取り上げて
それを個別に検証する。
だがその全ての理論の根底に
「時空から切りとられた空間が原子であり、
それが我々の5次元世界である」
というただ一つの認識がある。




「太陽に代表される恒星群では、
核融合反応によってたえず原子から新しい空間が発生し、
それが太陽風として現在、各星系間の空間を広げつづけている。
結果としてより遠くの天体ほど、
より速い速度で遠ざかるように観測される」


宇宙の膨張は、
人類がかつて宇宙は1点に収縮されていたと思いこむもとになった、
既出の事実である。
そして宇宙の果ての加速膨張についての謎は、
今もなお解明されていない。

現代の我々がみる120億光年先の宇宙は
120億年前の我々の宇宙とおなじ姿である。
しかしその「果ての宇宙」から我々の宇宙を逆にみれば、
120億年前の姿に見えるのは、今度は我々の宇宙である。

そして光速度に近い速さで遠ざかるように見えるのも、
やはり我々の宇宙のほうなのだ。

そしてその最果ての宇宙には、
実際には我々のみる120億年後の姿、
つまり今の我々の宇宙と同じ姿の宇宙がある。


これはこの宇宙には中心点などなく、
この宇宙は例えどの「点」をとったとしても、
現在の我々の宇宙とは
ほとんど何もかわらないということである。


物体の移動速度は光速度をこえることはできない。
しかし太陽風の「累計速度」だけは、
相対的にはやがて光速度をもこえる。

いつの日か世界の最果てに位置する宇宙は、
我々の銀河系からは観測することができなくなり、
やがて最果ての向こうがわの世界へと、
その姿を移していくことになるだろう。


このように我々の宇宙は、
全恒星の質量をこえるような暗黒物質やダークエネルギーを
全く必要とはしない。

ビックバン理論では、最果ての宇宙にも
「現在の姿」が存在することを
明らかに失念している。
そこには我々の宇宙の「過去の姿」も、
同時にあるはずなのだ。


また「遠ざかる太陽」の実例として、
くじら座の変光星ミラを紹介したい。
ミラはその光度の変化にともなって
我々の太陽系から離れていく(遠ざかる)速度も
同時に変化させている。
これはミラ内部の核融合反応の強弱が、
空間の発生量を同時に変化させている証拠である。

ミラは決して地球からだけ
律儀に遠ざかっている訳ではない。
そして次元理論以外に
この現象を理解出来る理論はないだろう。





「超新星爆発を起こした恒星系では、
いちじるしく質量と空間が増大し、
地球型惑星は木星型惑星に、木星型惑星は小型恒星へと、
その姿を変えていく」



現在は恒星系のほとんどが
「連星」の構造をもつことが知られている。
しかし既存の理論ではなぜここまで星々が連星系として誕生するのか、
その謎にせまることはできない。

しかし次元理論では、太陽の死をさかいに、
地球はやがて木星型惑星に、
木星はやがて他の太陽系へと成長するという未来図を予測する。


超新星爆発のような宇宙規模の大爆発では、
発生する空間波も尋常な量ではなく、
この大規模な空間波からは同時に膨大な量の原子と空間が生まれる。

これによって恒星系全体の質量と空間は
一気に拡大する。

この新しく誕生した原子群を身にまとい、
全ての星々は一様に成長するのだ。
そしてその恒星系は奥行きを増し、
あらゆる方向から遠ざかるのである。
これはもちろん、超新星爆発をおこした恒星本体にも
当てはまる現象である。

小さくなる訳ではない。
遠ざかっているのだ。あらゆる方向から。

したがって空間が広がりつづけるからといって、
我々の宇宙は決して虚無へとむかうわけではない。
事実、太陽系創生における地球シミュレーターの計算では、
木星や土星等の形成には時間、質量ともに不足だとする
結果をしめす研究所もあるのだ。

つまりその場所には、
前世代太陽系の地球型惑星がもともと存在したのである。
その星がコアとなり、
新しく誕生した原子、ガス群をまとい巨大化する。
それが恒星系における自然な木星型惑星の誕生、
連星系の出現である。



このように我々の太陽系の構造は、
宇宙全体から見ても決して特別ではない。
やがて我々の太陽は今よりも明るく輝き、
かつては木星であった小型の恒星が太陽のパートナーとして
新しい連星系を誕生させることだろう。
その時代には地球が新たな木星型惑星として、
次世代の太陽系の創造を目指しているのかもしれない。


もちろん現在の太陽にも、
その兄弟や親となる恒星系が存在したはずである。
次元理論による結論は、
「質量は成長する、宇宙も成長する」という見解である。

我々の宇宙は閉じているのでもなく、
開いているのでもなく、
常に成長を続けている。



そして最後に、
「原子核収縮反応による最初の宇宙の創造は、
今なお成長をつづけるこの宇宙のいたる所で同時に進行している。
つまり『いつが宇宙の始まりなのか』という問いかけ自体が、
この宇宙においてはなんら意味をなさない」
というものである。



これはあらゆる次元世界がもつ
「はじまりも終わりもない永遠の世界」という属性を、
我々の宇宙にあてはめた時の言葉である。

これにより我々は、
あらためてこの宇宙が次元世界であることを
認識することができるだろう。

私は時間波による原子核収縮反応は、
主にボイドとグレートウォールの境目付近で発生し、
重力波による原子核収縮反応は
主に恒星とブラックホール周辺で活発におこなわれている
と推測する。


結果としてグレートウォールから溢れでた大空間流は
宇宙の大規模構造としてのボイドを広げる。
このように我々からは一見平坦にみえる「宇宙の果て」の姿も、
じつは別々の方向に存在する
ことなる宇宙の集まりである可能性が高い。


以上の事例はまだ一部分である。
けれども次元理論の「空間と質量は同一の概念である」という
シンプルな原理にもとづいて、
物理学的には未解決な現象が次々と説明づけられたのである。

その現実は否定できない。

次元理論が今後検証される事になれば、
まさに大統一理論とよぶにふさわしい宇宙理論が
誕生することになるだろう。