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2019年3月12日火曜日

(連載5)5-5時間軸の力学





完全無の内側の概念が「全てがない」という世界であれば、
その外側には「永遠に存在する(全てがない)」という
同じ別次元の世界が広がる。



点という、
今という、
命という、
自我という、
どこにも存在しない
いくつもの「存在する無」を受け継ぎながら、
連鎖する実体はその先へとつながる。



全ては完全無が統括する
無の無限大の連鎖と「同じもの」として。



「存在するもの」は実体であり存在ではなく、
本当に存在するのはこの力学だけである。



今という「存在しない時間」が
存在し続けること、
これも同じ「無の連鎖する力学」である。




無と同じものとして
無の無限大の連鎖を続け、
あるのにどこにも存在しない時間「今」と
その連鎖を続ける時間軸。



この「今を起点」として「現実世界」は存在する。



我々の瞳に映るこの世界も、
その概念は存在ではなく
実際には実在する世界である。



今という存在しない時間の中でのみ
我々の世界は存在する。

無の連鎖の中で浮き上がる
幻のような全てが実体の世界。



生まれているのか、
きえていくのか、
区別もつかない時間の中で、
だが強固な現実の砦は構築される。


連鎖こそが力学であり、
この力学だけが
間違いなく存在する世界なのだ。




我々の宇宙はこの
「存在する力学」である。



全ての概念が存在ではなく実在する世界で、
この力学だけが概念を形づくり、
とめどもなく流れ続け、
そこに想いと意志とをつなぐ。


存在するのは力学である。
ならば力学こそが我々なのだ。




確かに「今という空間」は、
無に支配された宇宙の「存在しない時間」である。


だが無に帰属しながらも、
それは決して無への帰還ではない。
存在する無は完全無へと連鎖を続け、
存在を広げる力学である。
それが世界の本質にある「拡大の原理」である。



これは完全無へと向かう
無から始まる「世界原理」である。
その力学の中心に、
無の概念を持つ全ての次元世界は存在する。


「無は完全無である」
だからこそ世界は、無限大の可能性を持つ現実なのだ。



これが「無の存在する世界」であり、
全てを持たないものが「永遠に拡大する」
その原理である。


我々が自覚するこの実在世界には、
存在するのに何処にもない「今という世界」の
無限大に連鎖した「存在する現実」がある。


これは全てが力学である。
我々も世界も
同じひとつの力学である。




さあ、次元理論に戻ろう。


3次元空間世界を実体(今)として
無限大に空間(今)の連鎖する世界、
それが4次元世界、
いわゆる「時空」である。
(従って時空とは、時間の存在する世界の意味である。
空間の無限大の連鎖が時間の概念を生む。)


これはこれまでの人類には
理解が及ぶことのなかった、
時間の流れる仕組みである。



これも世界原理であり
「次元共有の大原理」のもつ、
次元世界創造の力学である。



これまでと同様に
「次元世界実在のための必要十分条件」として考えれば、
時間の存在しない空間はなく、
空間をもたない時間軸もまた実在することはない。


空間の連鎖が時間軸であれば、
空間と時間軸は「同じもの」である。


これも等価なのだ。




同じものでありながら
空間とは異なる概念世界として
時間は発現する。


こうして世界では時間が動きはじめ、
ここに4次元世界、
時空は創り出されたのである。



このように「時間」もまた、
新しい次元世界の構成要素として
「無の延長線上に現れた実在の概念」である。


その起点は「現在」であり、
すなわち「今という存在しない時間」である。
今は既に実体であり、
モナドであり、
存在する無である。





もともと「今」という時間が
人間にはつかまえる事の出来ない概念であることは、
だれもが実感することだろう。



「今はたしかに存在する」
これは事実だが、
ここが「今」だとよべる瞬間は
現実にはどこにも存在しない。


我々が「今」を自覚したときには
それは既に「過去」であり、
「今が存在しない」ということは、
「あらゆる時間軸も(空間も)存在しない」ということである。



しかし一見、不確かにも思えるこの「今」の連続が、
過去から現在をつなぐ
唯一の「時間軸」であることは確実である。


「あるのにない」という「今という時間」、
これは「線」世界における「点」の概念であり、
「点」や「今」は「存在するもの」ではない。


これによって我々は「次元世界の起点」となるべき両者が、
ともに「存在する無」の概念を持つ「実体である」ことを
理解することができるだろう。



現実に宇宙に存在するものは
やはり力学だけである。




「存在しない今(空間)」と
時間軸という「全てが存在しない世界」によって、
「存在する時間世界」は「実在する無の概念」と同一の、
すなわち無の一部分である。



この「無」以外に、
「永遠」をつくりだせる概念が他にあるだろうか。


無は永遠である。


「無」は永久に存在する「完全無」であり、
これが力学の始まりである。
したがって「存在する空間」も「存在」ではなく、
力学の僅かな断面である。

なぜなら世界は永久に「完全無」なのだから。



そのために空間は常に新しく存在をつづけ
「今という時間」として、存在しない(実在する)。


このように空間も、時間世界の概念の一部分であり、
時間軸の長さという部分を持たないモナドである。



世界は実体であり、
存在は力学である。



そして我々人間の視点は、
この存在しない今という空間から逆に
外側の世界に対して向けられている。


そして世界と人間の記憶によって、
「存在する世界」は出来上がっているのだ。


今という存在しない世界にいるからこそ、
人間にとって世界は存在するのである。

このように我々の居場所は、
永遠に存在する今の中と限定的である。




「次元世界の起点」となる実体は、
必ずその次元世界の「構成要素」として、
新しい次元世界を構築する。


けれどもその新しい世界もまた「完全無の概念」を持つ
「無の概念(実体)の永久連鎖」である。


これによって全ての世界は、
存在する無から生まれた
同じ完全無の概念である。






現実を正解に理解すると
我々の状況はこうである。



そしてこの1次元世界の「あるのにない」という概念自体が、
「無の概念」が「存在する」ためだけに生まれたものである。



このように「完全無」は、
たしかに「実在する世界」なのだ。





「無」が創り出した「線世界」が
途中でとぎれないのと同様に、
「今」は永久の連鎖を続け
止まることなく時間軸を創り続けている。


「無、ゆえに無限大」


つまりこも「今」という「存在する無」も、
この世界に「完全無」が実在するかぎり
永遠に存在しつづけることができるのだ。




このように
「この宇宙には何も存在しなかった。
そして今もなお、この宇宙には何も存在はしない(世界原理)」
という無の概念と同時に、
時空は出現する。



したがって時間の流れる範囲を
「何時から何時まで」と問うこと自体が、
我々にとって何ら意味をなさない問題である。



あらゆる時間もまた
「完全無の概念」にすぎない。



時間軸は完全無と等しく、
それは力学しか持たない実体である。




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