「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2019年3月5日火曜日
(連載5)5-4時間軸の誕生
存在する無は実体であり、
これは点の連鎖と同じものとして
空間世界を創り上げていた。
だがここに誕生した「空間概念」までが
「実体(あるのにないもの)である」とは、
一体どういうことなのだろうか。
世界が「存在する無」である以上、
「存在するもの」は全てが実体でなければならない。
そして実体は連鎖を続ける完全無である。
しかし空間は3次元世界として既に存在するものであり、
「ない」という概念は持たないのではないのか。
そしてこの空間世界が
つぎに共有し創り出す世界とは一体何なのか。
それが「時間世界」、4次元時間軸である。
この世界が無によって統括される以上、
空間世界は「存在しない」。
空間世界も実体(無の集合体)として、
「あるのにない」という無の連鎖する同じ状態である。
「この世界には何も存在しなかった」と次元理論を始めた時、
私は「存在する空間」は「無ではない」と語った。
空間を理解するためには無を知らなければならない、と。
完全無として存在する宇宙に、空間は存在しない。
無が完全無として存在する(世界原理)ことが、
この世界の真理である。
だからこそここに
新しく生まれるのだ。
「存在する空間」を実体(存在する無)として始まる
時間の概念世界が。
時間世界は空間の時間軸方向に向けての連鎖である。
時間軸があることが
この世界が完全無として存在する証明であり、
世界原理が働く無限大へと連鎖する力学である。
つまり「存在する空間概念」が
「存在しない時間の概念」と
同一なのである。
「存在する空間」は
「今という存在しない時間」である。
「存在する空間」=「今」(存在しない時間)
「存在する無」である以上、
無は無限大の連鎖として完全無である。
同じ原理により、
「存在する空間」を「存在する無(今)」として
そこに新しい空間概念の連鎖する世界、
時間軸(流れる時間)が生まれる。
「無」が「有」と共有するように、
あるいは「線」が「面」と共有するように、
「空間」もまた「時間」と共有しなければ、
そこに実在することはできない。
これも「同じもの」という等価原理である
したがって「空間概念」が実在する以上、
「時間」もかならずそこに存在する。
時間軸は現在を起点(今)として過去に向かって拡大する
空間概念の無限大の連鎖である。
この空間概念の無限大の連鎖によって、
「存在する空間」は時間軸の「起点(今という実体)」となり、
それは「存在しない時間(時間軸・過去)」である。
今という時間は時間軸の中には存在しない。
今という実体(存在する空間)は
時間軸における長さの部分を持たないからだ。
時間軸(時間世界)における今は
「存在しない、長さを持たない時間」であり、
これは「確かにあるのにどこにもない」という
「存在する無」と同一の概念である。
これによって確かに世界に出現したはずの「存在する空間」も
「存在する無」と同一の実体となり、
どこにも存在しない今(という時間)となる。
こうして「今という時間」も、
実体の無限大の連鎖として
時間世界を創りだすことができたのである。
これが時間世界(4次元時空)の始まりであり、
時間の流れが世界を統括するその原理である。
時間軸は最初から概念世界であり、
それは「存在」ではない。
積み上げられた過去(原因)に世界(空間)はなく、
その全ては「あるのにない」という無の概念と同じである。
それは「存在する無」と同一の
「確かに存在するのにどこにも存在しない」世界なのだ。
過去の世界は存在せず、
「今という存在する世界」も「存在しない時間軸の実体」である。
だがそこには、
未来に向かって連鎖するベクトル(連鎖する今)だけが
残されている。
個(今)が全(時間軸)であるための力学。
無が完全無であるための「存在する無」の力学。
全てが同じ
ひとつの同一の世界であることが理解できるだろう。
この現実が「無が存在する」という世界原理である。
この時間軸の統括(時間による支配)によって世界は、
「全てのものは存在しない」という
「無」本来の概念世界に立ち戻る。
しかしこの時間軸における「存在しない時間」、
今の中だけに
「空間は確かに存在する」。
このように世界全体の現実からみれば、
我々人間の立ち位置は特異である。
存在しないはずの概念世界の中でのみ(今という時間の内側)
我々は存在することができるのだから。
人間は今という時間の中で
存在する空間を知覚する。
だが真実は
存在しない時間の中で、
存在しない空間を、
その内側から見ているのだ。
もちろん我々が現実として認識する宇宙も
同じ概念世界である。
存在しない一瞬で無へと立ち消える
連鎖だけの世界。
ないものがあるのか、
あるいは、あるものがないのか。
誰かの見る夢と呼ばれても遜色ない
おぼろげでしかし確かな記憶の連鎖。
だがその記憶が失われれば
そこに現実のカタチは一切残らない。
だが今はまだ、感傷にひたる時ではないだろう。
我々は理解するための科学として
次元理論を始めている。
我々は世界の真実を知らなければならないのだ。
その理解の先に、解答は示されるだろう。
我々は存在を続ける為に、知らなければならない。
我々の宇宙では、
存在するものの全てが
存在ではなく力学という実体の連鎖である。
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