圧倒的な存在として宇宙の中心に居続けた
「数字の0」は、
実は全ての数字、あらゆる点と同じものでした。
「何処にも存在しないのに、
確かに存在する点」これが0です。
ところがその他のあらゆる点(数字)も
その本体は
「ここに確かに存在するのに
何処にも探せない、何処にも存在しない点」です。
そこに呼び名として数字や記号を与えたとしても
結局は1、000… 2,000… あるいはπ(3、14…)として
誰も特定することも、確定することも出来ません。
これは仕方のないことだったのかも知れませんが
思考停止の罠です。
これが数学です。
「何処にも存在しないのに確かに存在する点」0と、
「確かに存在するのに何処にも存在しない点」その他の全ての数字との
違いはなんでしょうか?
この両者に違いがありますか?
だから「0もその他のあらゆる点」も
全ては同じものなのです。
線を構築する概念は「連続する点」です。
けれども点はその全てが0で、
結局は何処にも存在することが出来ません。
何故なら点には本体(この場合は面積)が
与えられていないからです。
この仕組みを理解することが
本当の意味での宇宙物理学です。
これまでは「無から有が生まれた」、
これが現代科学の考え方でした。
その為に「マイナス有」を
ありもしないのに必死で探しました。
けれども真実は「0と点は同じもの」、
つまり無は有としてここに存在し続けている、ということが
私達の世界の解答となります。
長さを持たない為に存在出来ない点、
面積を持たない為に存在出来ない線、
体積を持たない為に存在出来ない面…
これが「あるのに何処にも存在しない0と等しい」世界の仕組みです。
数字や0は、
数字や0は、
もともと点や線を利用する為に
わたし達人間が発明した道具でした。
けれども「宇宙に存在する線や点の概念」に
0の概念はありません。
この世界に数字はなく、
何より全ての存在する点が
「0と同じもの」なのです。
全ての点と0に違いはない、
と私は言いました。
世界を構築する全ての点が0と等しい!
これが数字によって隠されていた
「本当のこと」です。
では何故そんなことになったのでしょうか。
点とは何か、
線とは何か、
わたし達はもう一度最初から
本当の事を理解し直さなければなりません。
「この点を1と呼びます」と覚えてきた
その前の段階から‥
それなくして「本当の科学」は成り立ちません。
はじめに0を置き
宇宙を折り曲げることの不自然さ、
基準点のない宇宙に
ビックバンなどという0を持ち込み、
無理矢理の物理法則をでっち上げることの愚かさ、
このままでは人間の中心にある知識が危険です。
科学はわたし達の「正しさの基準」となります。
信じる事を目的とした宗教ではありません。
科学はわたし達が理解するための知識であり
それが現実世界として
人間の世界に対する考え方となるのです。
世界(宇宙や自然)から学ぶこと、
それが本来の人間の科学であり学問の姿です。
そしてその事実を歪めるものが
誤った知識(思い込み)であり
残念ながら「現代の科学」です。
だからこそ世界の始まりから、
わたし達はこの宇宙の本当を理解していきましょう!